Topハワイ・フラ情報かずこセリッグ・メモリアル

かずこセリッグのこと                     ショー (山下正一)


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  • 家族として記す「山下和子」のバイオグラフィ
    1966年8月13日、私の妹・山下和子は有明海を望む福岡県の最南端の町、大牟田市で生まれました。
    幼少時は人見知りの激しいたいへんおとなしい子で、親戚の間では「和子ちゃんはお人形みたい」などと言われていました。 中学ではバレー部、高校ではコーラス部。ビートルズのファンでファンクラブにも入っていました。私と同じ福岡県立三池高校を卒業し、私がそうしたように18歳で進学のため上京しました。
    考古学を専攻していましたが、わずか1年で大学を中退。彼女の眼はもう世界に向いていました。
    アルバイトでお金を貯めて、ついに20歳の時に、和子が好きなビートルズを生んだ国、イギリスへと、たぶん生まれて初めて親の反対を押し切って、単身ロンドンに渡ったのです。

    イギリスで英語を学び、その後スペインのバルセロナに移り住みます。スペイン語を覚えた彼女は、スペインの学校でビジネスの勉強をしていたようです。「秘書」の業務を学んだと言っていました。
    帰国後、海外で学んだことを活かし、ビジネス・ウーマンとして結構忙しく働いていたことを、私も知っています。
    そしてその頃、あまり深い考えもなく「なんとなく」フラを習い始めました。 これが、彼女の人生を決定づけるきっかけになるとは誰も、そして本人も全く知る由もありませんでした。

    30歳を過ぎて、あるつらい出来事がきっかけで、なりゆきのままハワイに渡った和子は、思いがけず憑りつかれたようにハワイの文化に傾倒していきます。ハワイ大学に入り言語学とハワイ語を二重専攻しました。
    様々な出会いが、和子のハワイでの立場を作っていきました。ハワイ文化を担うそうそうたる顔ぶれの人々といろいろな偶然で巡りあい、その度にかれらの信頼を得て、その結果、 普通の人ではなかなか体験できないようなことを次々に経験していきます。そういう意味では、彼女は幸運だったようにも思えますし、また、天の配剤だったようにも思えます。 和子は天の命を受けて、仕事に臨んでいたのではないでしょうか。ジョージ・ナオペさんから授かったマカナ・オ・カラニ(天からの贈り物)という和子のハワイアンネームも、 それを示唆しているかのようです。彼女はハワイでジョナサン・セリッグと結婚しジュリアン(日本名は山下拓生=たくみ)という男の子を授かりました。

    彼女は、一見友好的に見えるハワイと日本の関係・・しかし双方の間に根強く存在する「相互の誤解」を払拭し、ハワイの文化が日本人のお金で歪められかねない現状を憂い、 かといってハワイに媚びず、しかし謙虚な姿勢を貫いて、真の異文化交流を深めていくことをライフワークとしました。
    その後もさまざまな仕事をこなし、病に罹って日本に戻って療養生活を始めた後でさえも、ワールド・インビテーショナル・フラ・フェスティバルの創始者ポーリー・ジェニングスさんからの要請で、 2011年から「ワールド」日本大会をプロデュースしました。毎年、最終日のクロージング・セレモニーにおいて、会場のみんなで手をつないで「ハワイ・アロハ」を歌ったあとに、 そのまま日本のうた「ふるさと」をハワイのクムたちも含め全員で合唱して閉幕するという構成は、和子の信念を感じる瞬間です。ハワイのクムたちも日本の文化をリスペクトしてくれるのです。 思えば、この仕事が彼女のライフワークの集大成となりました。

    2013年の「ワールド」日本大会のクロージング・セレモニーでは彼女は客席に向かってアロハを訴えました。アロハの心と相容れない行為をまるで叱るように観衆に向かってたしなめたのです。そのとき私はひそかに彼女の強い覚悟を感じました。
    来るべき瞬間がそこまで来ているのかもしれないと思いました。彼女の体は全身がんに蝕まれていました。最後の気力を振り絞って和子はステージに上がったのです。

    その6週間後、彼女は地上から去っていきました。

    いま彼女のことを思うとき、血を分けた兄妹でありながら、和子はまるで昔話の「かぐや姫」のようにふっと地上に舞い降りて、ほんのいっとき私の妹という仮の姿で 過ごしたのちに、また天命を受けて、天に帰っていったようにさえ思えるときがあります。
    ただ、いずれにしても私はたったひとりのかけがえのない最愛の妹をなくしてしまいました。正直言ってこの悲しみは筆舌に尽くしがたいものがあります。 しかし私だけでなく多くの方々が彼女を惜しみ悼んでくれることを目の当たりにして、みなさんと思いが共有できているという心の安らぎが、今の私を救ってくれているのです。
                                                                          2014年2月6日 山下正一
  • かずこセリッグに関するメールをくださる方はこちらからどうぞ。すべてに目を通させていただいています。


    あの日が過ぎ去ってから・・

    《2015年7月30日》 
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    しばらく更新をしていませんでしたが、ある方がそのことを気にしてメールをくださいました。どうやら私のことまで心配してくださったようです。実は私はその方とはまったく面識がありません。でも、いろいろな方が気にしてくださっていることを 今更ながら知りました。ほんとうにありがたいことです。
    今月、ホノルルに「茅ヶ崎マカナ」の打ち合わせに行ってきました。ホノルルを訪れるたび、ライアンアボリータムの山の中腹にある「和子のハラペペ」(和子のために植えられた小さな「樹」)に会いに行きます。 植樹して1年半以上が経ちますが、元気に育っていてくれました。いつも周りに誰もいないので、私は言葉に出してその木に話しかけます。しかも和子と一緒に育った九州の言葉で。もし誰かに見られたら、かなり恥ずかしい光景です。別れ際に、「また来るけんね」と言ってその場を離れようとすると、マノアの山の 奥深くから、音を立てて一陣の風が吹いてきました。ここまで登ってきて汗だくだった体がとても気持ちよく、おもわず「ありがとう。和子がやってくれたと?」と口に出してしまいました。そうしたらもう一度ブワーッという感じで再び風が山から下りてくるではありませんか。 そしてその風がやんだあと、わたしは、ちょっといたずらな気持ちになって、「ねえ、もし和子なら、もう一回やってよ!」と言ってみました。すると10秒もしない間に、またまた風が私の体を包み込んだのです。 (もし、ほんとうに和子だったら・・)と思うと、こんな思い付きの戯れにつきあわせて「力」を使わせたことに、なんだか申し訳なくなってしまって、もう風を要求するのはやめました。あと、ほんとのことをいうと、もしもう一回風を要求したあとに、 こんどは何も起きなかったら、すこしさびしくなってしまいそうな気がしたからです。ただの偶然だったなんてことだと、少しがっかりなんで・・。

    《12月24日》    

    ワールド・インビテーショナル・フラ・フェスティバル日本大会の優勝チームが参加する「ハワイステージ」に同行しました。イオラニ宮殿でのパフォーマンス、5人のクムフラによるスペシャルワークショップ、 キロハナさんの家でのディナーパーティ・・どれもほんとうにすばらしい体験でした。

    《11月8日》    

    早いのか遅いのか、時間の流れの感覚がよくつかめません。今日は和子の命日です。声をかけてくださったみなさん、覚えていてくれて本当にうれしいです。ありがとうございます。

    《11月2日》
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    1日、茅ヶ崎に行ってきました。木村副市長の葬儀に参列するためです。式場は悲しみに包まれていましたが、木村さんの遺影はいつもの温かい笑顔で美しいレイを首からかけているものでした。 和子が天国で木村さんに美しいレイをかけてあげている姿が、まるで現実のもののように鮮明に浮かんできました。まだ和子がハワイに住んでいたころ、私がホノルルに行くたびにわざわざ空港まで迎えに来てくれて、 いつもきまってレイをかけてくれたものでした。

    《10月30日》   

    10月26日(ハワイ時間)ついにホノルルで、茅ヶ崎市とホノルル市の姉妹都市締結調印式が行われました。セレモニーの壇上でスピーチに立ったホノルル市のコールドウェル市長、茅ヶ崎市の服部市長ともに和子のことに言及してくださいました。 ほんとうに有り難いことです。 拓生(ジュリアン)にはなんと調印文書のレプリカや記念の品物が贈られました。両市長としっかり記念の写真におさまりました。

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    調印式の前日、ライアン・アボリータムの和子のハラペペに会いに行きました。(ホノルルに行くたびに必ず訪れています)。そこで、服部市長、木村副市長それに市役所の石井さんにばったり遭遇しました。和子の樹があることを知った市長さんたちが、 わざわざ調印式を前に和子に挨拶に来てくださったそうです。
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    この夜は市長、副市長、議長、副議長・・というそうそうたる顔ぶれが、クムフラのキロハナさんの家に集結し、茅ヶ崎の皆さんはディナーパーティを楽しみ、みんなでフラをちょっぴり体験しました。

    そして調印式の翌朝、日本でも報道されましたが、木村副市長がワイキキで亡くなられました。言葉にできないほどの悲しみを私たちは共有することになりました。多くのクムフラやキロハナさんの生徒さん方からも、深いお悔やみの言葉が届きました。 木村さんはほんとうに素晴らしい方でした。姉妹都市締結のために茅ヶ崎とホノルルを何往復もし、改めて英会話を勉強され、ハワイの文化を深く理解するためにフラやサーフィンも体験されました。 その朝も、サーフィンをするためにワイキキの海に入られたそうです・・・悲しくてやりきれません。こころからご冥福をお祈りします。

    《9月22日》 
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    ワールド・インビテーショナル・フラ・フェスティバル日本大会2014が茅ヶ崎で開催されました(9月13〜15日)。和子がいない中での初めての大会でした。 ただ、クムフラ達は「和子はここにいるよ」と口をそろえて言っていましたし、ほんとうに和子の姿をはっきり見た!などという方もいらっしゃるくらいでした。 
    私も、ほんとうにそこに来てくれてたんだろうと思います。実際、去年までMCを務めた彼女の席には彼女の遺影を置いていました。

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    それにしても、茅ヶ崎市のみなさんはあたたかく私たちを迎え入れてくださいました。14日のワークショップ終了後、「(会場の)市民文化会館の食堂で夕食会をするので皆さんで来てほしい」と、 市役所の方に呼ばれていくと、そこには市長、副市長、市議会議長をはじめ、まさしく茅ヶ崎市を代表する方々が集まってくださっていたのです。食堂でハワイのクムフラ達とともに皆さんすごい盛り上がりようでした! 特に市長さんには12日に市役所に敬訪問し、13日はコンペティションの冒頭でステージであいさつをしてくださり、さらに15日にも大会中にスピーチをされるなど、毎日お会いするほどでした。

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    市長は10月24日、ホノルルで行われる「姉妹都市」の調印式に同席のハワイのクムフラ全員を招待してくださいました。私も参加を許され大変光栄に思っています。 かずこの遺影を忍ばせていこう思っています。これらのことに伴い、来年からワールド・インビテーショナル・フラ・フェスティバル日本大会は「茅ヶ崎マカナ・フラ・フェスティバル」と改称されることが、 最終日、クムフラのイポラニ・ヴォーンさんから発表されました。マカナは「贈り物」の意であり、同時に和子のハワイアンネームです。和子の名前を冠する大会になるとは、さすがの和子も想定外だったに違いありません。 
    彼女が目指したハワイと日本の文化交流の「あるべき姿」を、ホノルル市の姉妹都市になる茅ヶ崎市からさらに追求しつづけます。

    《8月28日》

    茅ヶ崎市の副市長、木村さんから昨日電話をいただきました。
    茅ヶ崎市とホノルル市の姉妹都市の調印式が10月下旬をめどにホノルルで行われるとのこと。
    「妹さんは最初にきっかけを作った人だから」とおっしゃってくださりわざわざ会見前にお知らせくださいました。
    なんて律儀な人なんだろうと感心すると同時に、和子のことを覚えてくださっていることがほんとうにうれしかったです。

    (以下、tvkニュースより)
    茅ヶ崎市はきょう臨時の会見を開きハワイ・ホノルル市との姉妹都市提携について進捗状況を発表しました。 茅ヶ崎市の服部信明市長はきょう開かれた議会で「姉妹都市の提携について」に関する議案が全会一致により可決しホノルル市との提携に向けて本格的な作業に入ると発表しました。 ホノルル市議会でも今月13日に茅ヶ崎市との姉妹都市の提携に関する決議が全会一致により採択されていて両市は調印に向けて具体的な日程調整に入ります。 調印式は10月下旬にホノルル市内で行われる予定です。(以上)

    《8月13日》
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    今日は和子の48回目の誕生日です。
    みなさんが、和子がまるで生きているかのように、お祝いのメッセージをくださいます。いまさら気が付くのは、和子はお盆休みにいつも誕生日を迎えるのです。 去年の誕生日は、家族みんなで茨城県のつくばにペルセウス座の流星群を見るために泊りがけで出かけました。結局曇っていて流星を見ることはできませんでしたが、ホテルで ささやかな誕生祝いをしました。ことしもペルセウス流星群は8月12日の夜から出現したそうです。和子の誕生日は毎年星が天から降ってくるのです。
    和子のロンドン時代からのお友達の内田まやこさんからも、東京の自宅に誕生日のお祝いの花が届けられました。まやこさん、ありがとうございます。
    和子ちゃん、誕生日おめでとう!
    そして、和子にとっては・・初盆でもあります。

    《8月5日》
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    昨日、ホノルル市長の歓迎レセプションに招かれました。
    茅ヶ崎を訪問していた、ホノルル市長夫妻を囲んでの楽しいひとときでした(写真:服部・茅ヶ崎市長とコールドウェル・ホノルル市長)。
    ホノルル市長のスピーチは「姉妹都市締結」に言及され、両市が姉妹都市として結ばれることが完全に視野に入ってきました。
    当日のパーティーには、茅ヶ崎から市長、副市長、市議会議長、市議会議員などの市を代表する人々が一堂に会し、 市が一丸となって、姉妹都市締結にむけて熱い情熱を注いでいる姿が見て取れました。
    なんにもない状態から、両市の姉妹都市締結のきっかけを作ったのは、和子です。
    あの場に和子がいたら感慨ひとしおだったと思いますが、それにしても和子がまいたいろいろな種が、少しずつ芽を出し育っていく。
    彼女は本当に自分が生きた証をあちこちに残しています。ホノルルと茅ヶ崎の姉妹都市の動きもそのひとつです。たいしたやつです。

    《7月2日》
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    6月26日からパリに行ってきました。さっき帰ってきたばかりです。
    本来なら和子が行くはずの旅でした。
    ワールド・インビテーショナル・フラ・フェスティバルの日本大会の成果を受けて、2012年に初めてパリでフラとハワイ文化のフェスティバルが開催され、今回は2年ぶり2度目のパリでのイベントになりました。
    パリでのフェスティバルのプロデューサーはキロハナ・シルヴさん。ワールド・インビテーショナル・フラ・フェスティバルを支えてきた和子の盟友のような方です。また、茅ヶ崎市とホノルル市の姉妹都市締結に向けて大きな力を発揮してくれています。
    たいへんすばらしい大会でした。和子にも見せてやりたかった。
    私は本来もっと大会のお手伝いをするべきところ、わがまま言って1日だけ自由時間(休み)をもらい、超高速鉄道ユーロスターでロンドンに行ってきました。パリから2時間15分、あっという間の移動です。
    ロンドンは20歳を越えたばかりの和子が暮らした彼女の青春の思い出の町です。彼女はのちにハワイ語やハワイ文化の研究に携わり、そのエキスパートとして評価を受けましたが、彼女が世界中で一番愛した町は青春の地、ロンドンだったのです。最後まで「もう一度ロンドンに行きたい」と、まるで望郷の念のようなものを胸に抱いていました。
    和子がどんなところで暮らしていたのか見てみたかったのですけど、残念ながら当時の和子の住所を私は知りませんでした。

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    そこで私はロンドンの観光地を何か所か回ったのち、和子が常々、ビートルズと同じ横断歩道を渡ったんだよと「自慢」していたアビイ・ロードに行ってみました。
    若かった彼女が嬉々としてこの横断歩道を渡ったんだなと・・。リアルに目に浮かぶようでした。
    ・・その日もアビイ・ロードを訪れた人たちが、それぞれビートルズのレコードのジャケットと同じように横断歩道を渡っては笑顔で写真を撮り合っていました。

    夢のような日帰りロンドンの旅を終えて、列車はふたたびドーバー海峡のトンネルをくぐり、キロハナさんたちが待つ「芸術の都」パリに向かって疾走します。もう夜の10時近くだというのにまだ薄明かりが残るヨーロッパの田園風景をぼんやりと眺めながら和子のことを考えていると今更ながら不用意にわいてくる涙を止めることができなくなりました。正直言って、情けないことに今でもたまにこのようなモードに入って泣けて泣けてどうしようもなくなることがあります。

    ◆昨年12月、キロハナ・シルヴさんはホノルル・マノアの自宅で開いた夕食会の席、10数名の招待客の前で、突然「私とショーは今から姉弟になる儀式をします」と告げ、私自身が戸惑っているなか、チャントがはじまり乾杯をし、私はキロハナさんのハナイ・ブラザーとなったのです。 たった一人の妹をなくした直後だっただけに、キロハナさんの思いやりがほんとうに胸にしみました。また、ハナイというハワイの民俗文化は私も知っていましたが、まさか自分がだれかとそのような縁を結ぶことを想像したこともありませんでした。
    いまでは、私たちはすっかりbrother、sisterと呼び合う「家族」になりました。この状況、さすがの和子も驚いているのではないでしょうか。
    ともあれ後から考えてみると、その日が私の人生の大きな転換点になっていたのかもしれません。

    《5月20日》

    ハワイから帰国しました。
    ワールド・インビテーショナル・フラ・フェスティバルを作り上げてきたポーリー・ジェニングスさんとお会いしてきました。
    84歳とご高齢のポーリーさんは、第一線を退かれる決意をされたようです。これまで私財をなげうって自らの信念を貫き、ワールド・インビテーショナル・フラ・フェスティバルを守ってこられました。 2010年、和子はポーリーさんの意をくみ、すでに末期がんの宣告を受けた体でありながら、ポーリーさんの理想に共感し、それを日本で実現することが自分に与えられた重要な使命だと考え、人生最後の仕事に取り組みました。
    ライアン・アボリータムの和子のハラペペにポーリーさんのことを報告しました。和子が蒔いた種が大きな実を結ぶまでみんなでがんばることもあらためて和子に約束してきました。 

    《3月25日》

    日曜日に、土肥先生によるハワイ語講座が再び開講されました。資料などもわかりやすく大変評判がいいようです。ぜひこれからも多くの方に受講していただきたいと願っています。
    皆様から頂いた受講料の一部は「ワールド」日本大会の運営資金に充てられます。
    現在、「ワールド」日本大会はコンペとホーイケの出場チームを募集しています。まだまだ参加者をたくさん募らなければ大会の成立自体がおぼつかない状況ですが、クムフラのひとりで大会のコーディネーター的な存在のイポラニ・ヴォーン先生は たった今もらったメールでこんなふうに励ましてくれました。
    We will all make World Japan successful!!!!
    Do not worry too much about counts for participants for World 2014...Everyone will become more excited after Merrie Monarch and counts will rise!
    そして、
    I must remember always her(和子の) "dream" and all Judges will be here for you とも。
    和子だけでなく、みんなの思いをつなげるためにも、がんばらなくては!  

    《3月4日》

    「ワールド」日本大会の概要が決まったので、多くのハーラウの皆さんに参加していただけるように、遅ればせながら呼びかけの活動を始めました。
    この「参加者を募る」という活動・・。実は去年まで和子がほぼ一人でやっていました。こうして始めてみると案外たいへんな作業です。
    しかし、この大会の灯を消さないためにも一生懸命にがんばります。和子が叱咤激励していることを強く感じていますので。
    ひとつでも多くのハーラウ、ひとりでも多くの方にこの大会に参加していただけますように、この場を借りて、フラを愛好するみなさまにこころよりお願いします。ぜひお友達にもお声をかけていただければ幸いです。

    さて、和子に関する内容のものだけではなく、いまでも「和子宛て」にメールをいただきます。なるべく早く私からみなさんに返信するように心がけていますが、 ときにお待たせしてしまっていることもあります。必ず返信しますので、なにとぞご容赦ください。
    ほんとうに、みなさん、ありがとうございます。  

    《2月26日》

      23日、去年の8月以来、私たちのオフィスのミーティングルームを会場にして、「ハワイ語講座」を開講しました。   
    土肥先生の講座は大変評判がよく、次回も3月23日に開催することが決まりました。   
    受講者の方の中には和子のためにお花まで供えてくださった方もいて、とてもありがたくとても感動しました。  

    《2月24日》

      「ワールド」日本大会の実施へ向けて、ハワイのクムフラたちから呼び出され、ハワイに行ってきました。   
    あらためて、クムフラたちの和子への思い、和子が残した日本大会を守っていこうという思いに、こちらのほうが心を動かされました。   
    ミーティングを行った場所は、カイムキの和子宅から車で15分、キング通りの「Zippy's」。庶民的なファミレスです。思えば、第1回の日本大会の準備にあたって和子に同行しハワイに行ったとき、 クム・イポラニ・ヴォーンに初めてお会いした時もこの場所でした。   
    そのときクム・イポラニは一部の日本のプロモーターがハワイのクムフラたちをひどく悲しませ、傷つけているという話をしているうちに、感極まって涙を流していたのですが、 日本とハワイの間にあるこのような目立たないけれどひどく深刻な問題について、その頃まだまだ無知であった私は、正直言って驚きと戸惑いをもって話を聞いていました。   
    数年を経て、そんな私がこうして同じ場所で同じクム・イポラニたちと一緒に、大会のプランを話し合っていることが、とても不思議に思えてなりませんでした。そもそも私がこの大会にかかわる資格があるのかという思いも、心のどこかに刺さったままです。   

    そのミーティングの直後、空いた時間を利用して、たまたま仕事が休みだった和子の夫ジョナサン・セリッグを誘って、ライアン・アボリータムの山道を登り、和子のために植樹していただいたハラペペを見てきました。   
    しっかりと育ってほしいものです。  

    《1月30日》
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    かずこセリッグの最後の本が上梓されました。
      
    「歌で覚えるハワイ語ドリル」(イカロス出版)です。   
    病床の和子の身を気遣い、励まし、辛抱強く待ってくださったイカロス出版のの綛谷久美さんにはほんとうに深く感謝しています。   
    結局、和子は序文(「はじめに」)の部分だけを手つかずのまま残して、旅立っていきました。   
    その部分は、綛谷さんからのすすめで「発刊によせて」という私のメッセージにかえて、出させていただきました。   
    先日、出版社から見本誌を届けていただきました。感慨深いものがありました。ただ著者のプロフィールに(1966〜2013)とあるのを見て、 2014年、いま和子がいない世界に自分は生きているんだと、あらためて強く感じてしまいました。

    《2014年1月29日》 
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    なにかにかまけてご報告が遅れましたが、先月(2013年12月)11日〜13日まで「ワールド」日本大会の締めくくり、ホノルルでの催し物が行われました。   
    前日、12日の日没の時間、ハワイのクムたち、和子の友人と家族で、アラモアナのマジックアイランドの海に、和子への祈りを捧げました。ワールド日本大会でご尽力をくださり、この年ずっとハワイ大学で研究活動をされていた文教大学の山口一美教授もかけつけてくださいました。   

    11日はホノルル市郡議会に招かれ、大会コンペティションの最高得点チーム、川端淑子先生率いる「アーケア・フラ・スタジオ」の皆さんが、議員や傍聴者が見守るなか、素敵なフラを披露してくれました。   
    それに先立ちマーティン議長が自ら和子を追悼しハワイと日本の架け橋となり真摯に文化交流に努めた和子の功績をたたえる演説をしてくれました。たいへん名誉なことで、きっと和子も報われた思いではないかと思います。   
    日本大会の本拠地・茅ヶ崎市からも木村副市長や、観光協会の新谷事務局長も傍聴に来てくださいました(写真:前列左から茅ヶ崎市・木村副市長、マーティン議長、川端先生、ポーリー・ジェニングスさん)。   

    12日はライアン植物園での体験学習。大会コンペティション優秀チーム3ハーラウの皆さんと、和子のハワイ語の生徒さんたちも参加。ライアン植物園のご厚意で、和子のための記念の植樹をしてくださいました(写真左下: ライアン植物園の管理者・リロアさん、手前は和子の一人息子の拓生(たくみ=ジュリアン)。

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    そして13日はイオラニ宮殿で前述の3チームがあのロイヤル・ハワイアン・バンドのパフォーマンスの中でフラを披露。 バンドマスターからはたいへん丁寧なお悔やみの言葉をいただきました。和子に代わってこれらの日程をどうにかこなしていきましたが、彼女がどれだけハワイの人々に厚く信頼され愛されていたかを、改めて思い知ったハワイの旅でした。

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    イオラニ宮殿でのパフォーマンスの後、参加した3つのハーラウのメンバーとハワイの和子のゆかりの人たちが手をつなぎ輪を作り、和子を偲んでくれました(写真右)。

    ハワイに滞在する間、多くの人々から与えられたご厚意、親切、さまざまな助け・・。和子がかねがね語っていたほんとうのアロハを身に染みて感じました。
    私は、いつかこの悲しみが癒える日が来たとしても、みなさんが祈りを捧げレイを投げた2013年12月のハワイの海の色を一生忘れることはないと思います。

    《11月27日》     

    あの日から3週間近くが過ぎました。正直に言うと、まだ和子がいないということが信じられません。
    いまだに、多くの人たちからお手紙やメールをいただきます。なんどもなんども皆さんのお手紙やメールを読み返すと、和子が私に大きな宿題を残していったように感じ、 私がなすべきことは何なのか、和子は何を私たちにさせようとしているのかを、自問する日々です。
    遅くなって大変申し訳なく思っていますが、お便りやメールをくださった皆さんへ、少しずつお返事を書き始めようと思っています。

    《11月21日》    

    10月14日、東京都内の斎場にて、皆様にかずこセリッグの「お別れの会」を開いていただきました。
    和子の大恩人であるトニー・タウヴェラ氏の司会で、心に残る会にしていただいたことを、この場を借りて心より御礼申し上げます。
    ハワイからも含め、このためにはるばる遠方より足を運んでくださった方もいらっしゃいました。ありがとうございました。
    和子が伝えたかったalohaが、もうたくさんそこにはありました。ご参列くださった皆様、ほんとうにありがとうございました。
    なお、お仕事があるのにもかかわらず、会式前に会場にかけつけて和子のために美しいレイを捧げてくださったレイ作家のUMAHANAさん、おなじく会式前にかけつけてくださって、 素晴らしい和子の写真を会場に提供してくださった、写真家のクニ・ナカイさんにも深く深く感謝いたします。
    そして、和子が息を引き取ったのち、静岡の病院に真っ先にかけつけてくださり、この会を陰になって仕切ってくださり、翌日の火葬まで見届けてくださった和子の親友の明日香さんにも ほんとうに感謝しています。いまでも折に触れ、私たち家族を励ましてくださいます。

    事務所にも数多くのメールが寄せられました。まだひとつひとつに返事が出せておらず申し訳ありません。
    「ハワイ語」をもっと勉強したかったとの声も寄せられました。私たちとしては、信頼できる講師に依頼し、ハワイ語講座を続けられるように検討しているところです。 どうか、もうしばらくお待ちくださいますようお願い申し上げます。

      《2013年11月11日》

    かずこセリッグ(日本名:山下和子、ハワイアン・ネーム:マカナオカラニ)は、
    2013年11月8日午前2時10分頃、4年以上にわたるがんとの闘いを終えて旅立ちました。47才でした。

    マカナオカラニ(天からの贈り物)という美しいハワイアン・ネームを、故ジョージ・ナオペ氏から授かった和子でしたが、
    地上でのひと仕事を終えて、再び天に帰っていったのだと思っています。

    皆様には、これまでのご厚情に心から御礼申し上げます。                        
    2013年11月11日 兄・山下正一

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